地域の声

BIOの本質は
「関係性を育むインフラ」
であること
~産業振興課の視点 1~

宮城県本吉郡南三陸町役場 元・産業振興課長
高橋 一清さん

南三陸町バイオマス産業都市構想」は、木質バイオマスのペレット利用促進と、バイオガスプラントによる資源循環事業が車の両輪となっている。つまり双方を推進していくことが原則だ。とはいえ、事業採算性を伴うものでなければ、担当部局としてゴーサインを出すわけにはいかないだろう。どのような事業収支の見込みから、バイオマス産業都市構想に係る事業の導入を判断するに至ったのだろうか。役場がバイオガスプラントの導入に踏み切るまでの間、最前線の部署を率いてきた担当者である、震災当時から産業振興課長だった高橋一清氏(現・総務課長)が語った。
※(本記事は2017年12月8日に発行した電子書籍「バケツ一杯からの革命」からの抜粋記事です。写真は南三陸町入谷地区の写真)

バイオガスの事業化は震災前から関心はありました

高橋さん:「地域エネルギーとしてのバイオマスが語られる際、一般的にイメージされやすいのは木質ペレットの方ですね。ただ、ペレットの製造事業は事業性を成立させるのが難しいんです。国内でも成功してないところが多いと聞いています。ですから(木質ペレットは)ハードルが高いなぁと思っていました。」

高橋さん:「事業採算性が難しい木質ペレットの域内生産に対して、バイオガスの方は震災以前にも畜産農家の糞尿処理に絡めて、家庭系生ごみのバイオガス化の検討をしていたことがあったんです。その際に費用対効果も検討していて、熱源や温水をうまく使えば結構いけるという感触がありました。ですからバイオガスの事業化の情報や検討は、ベースの話としてもありましたし、産業振興課としても関心はあったんですよ。」

多木質バイオマス調査時の原料

写真:木質バイオマス調査時の原料

バイオガス事業化までの2つの課題

しかし、バイオガス事業を模索する他の多くの自治体と同様に、ただちに実施というわけにいかない課題が二つあった。一つは、住民の生ごみ分別回収への動機づけに成功できず、協力が得られなかった場合、机上の空論になってしまうことだ。そこを解決する具体的な手立てをイメージできないと二の足を踏むことになる。

南三陸町の場合、一つ目の課題である「住民の動機付け」については、震災後に実施した分別回収の実証実験の成果で、住民の参画意識への手応えをつかむことができた。

もう一つの課題は、バイオガスプラントに特有の「消化液の処理問題」だ。メタン発酵後の副産物として大量に出る消化液を液肥として農地に利用できないと、消化液を排水基準まで浄化処理するのに莫大なコストがかかってしまうのである。

二つ目の課題の「消化液の処理問題」は事業採算性の可否が問われるテーマだ。

高橋さん:「いくら新しい経済効果や価値、地域の魅力を生むという波及効果があっても、直接の費用対効果が悪すぎたら厳しいですからね。でも、消化液を液肥として有効活用するという計画の中で、概ね従来並みのランニングコストで抑えることが見込めましたから、導入の判断を下すことができました。」

液肥利用の際の障壁となりがちなのが「利用者の確保」だ。この課題解決には、まず液肥を使ったことがない農家に対する「活用の動機づけ」が不可欠になる。

高橋さん:「得体のしれぬものを田畑に入れることには当然、農家として抵抗感がありますから、十分な説明の機会を設け、信頼を得ることが必須になります。ですから最初は、役場からこの人なら協力してくれるかも、という農家を紹介したり、ネギなどの液肥の有効性が見込める作物を奨励したりしましたね。」

利用者が確保できたとしても、次は現場の農地で膨大な量の液肥を散布する作業が課題となる。化学肥料なら1反あたり数十キロほどの粒剤を簡易な散布機で撒けば済むところを、同等の肥料効果を得るためには4トン前後もの液肥を撒かなければならないのである。通常は液肥散布車の出番となるのだが、初期の液肥利用の実証実験時にはアミタのスタッフが連日タンクを積んだトラックから手作業で散布していた。液肥は京丹後市(京都府)のバイオガスプラント(*1)から約1000キロの道のりをタンクローリーで運んできたものだった。思えばかなり無茶な力技の対応だ。その当時を振り返りながら高橋氏が語った。

高橋さん:「アミタには京丹後市でのバイオガス事業の実績やノウハウがあったから、液肥の活用策にも説得力がありましたし、現場での対応力もありましたね。おかげで今では液肥が足りない状況で、もっと生ごみの分別収集率をあげなくちゃならないです(笑)。」

「未来の子供たちに誇れるものを」

このようにしてバイオガスプラントの事業性が着実に確保されていった一方で、新設された南三陸病院や役場庁舎には、事業性のハードルが高いことを承知のうえで木質ペレットのボイラーが導入された。

高橋さん:「病院のボイラー施設の決断は正直、重かったですよ。そこに木質ペレットを導入するということは、今後、全町の施設でも同様にやるという方針を意味しましたから、コストの問題を含めて将来の方針を決める責任は重大だと感じました。」

一般的な財政判断であれば、当面は割高な運用コストが予想される木質バイオマスの導入には慎重を期すところだろう。それをあえて導入した理由は何だったのだろうか。

高橋さん:「費用面では悩ましい判断であったのは事実です。でも、震災後に新しい町をどう作っていこうかと考えたとき、何年たっても町にあるものを活かし、子供たちに誇れるものを作るのが有効なのではないか、という考えが根底にありましたね。ペレットなら、いざとなれば町内の山林からでも調達できますから。」

森と海がある限り再生される自然資源と、里に人の営みがある限り発生する“廃棄物”と呼ばれてきた循環資源。この両者の資源を最適利用するしくみこそが、社会の持続可能性を担保するものになるだろう。

高橋さん:「エコもバイオマスも大事なことは、地域の自然を前提に、どう暮らしを組み立てていくかという話なんじゃないかと思いますね。南三陸が特別かというと、そこは分らないです。BIOだって何もかも成功しているとは思っていないですよ。生ごみの分別回収率も、賦存(ふそん)量(域内で発生する総量の理論的な算定値)からすれば不十分なのでまだ道半ばです。でも震災後、壊滅した町づくりをどうしたらいいんだと路頭に迷っていた時の厳しさは半端じゃなかった。何か夢や希望につながること、地域に昔からあって未来にもある資源を活かすこと、そこからエネルギーや資源を循環させること、それが心の復興につながる。そういう発想からの事業提案は、たしかにフィットしたのかもしれないですね。」

東日本大震災2か月後の南三陸町伊里前湾沿岸

写真:東日本大震災2か月後の南三陸町伊里前湾沿岸

概念論や理念だけではゴーサインは出せない。しかし費用対効果の数字だけで地域に暮らす人々の心に夢や希望が生まれるわけでもない。決して簡単ではない判断を選択した「この町」が見据えていたのは、未来の子供たちに誇れるまちづくりであった。

(*1)京丹後循環資源製造所(京丹後市エコエネルギーセンター)アミタグループは2009年秋から京丹後市の「京丹後市エコエネルギーセンター(バイオガス施設)」の指定管理者となりました。「京丹後循環資源製造所」は、同センターを運営するアミタグループの事業所名です。京丹後循環資源製造所が管理する同センターでは、食品残渣をエネルギー(電気・熱)と資源(肥料)に変えています。アミタは2003年に独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の実証研究として、同センターの開設以来、プラントの運営に携わっています。なお、同センターは2017年8月に京丹後市により閉鎖が決定しました。(2018年閉鎖)

地元小学生の南三陸BIO見学

写真:地元小学生の南三陸BIO見学

高橋 一清

プロフィール

高橋 一清(あべ ひろゆき)さん
南三陸町役場 総務課長 

1979年志津川町役場入庁。東日本大震災当時に産業振興課長。震災後バイオマス産業都市構想の策定、実現に関わる。2017年より総務課長。

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