地域の声
自分がやって結果が出れば、
あとが続くと思った
宮城県本吉郡南三陸町 農家
阿部 博之さん
阿部 博之さんは町の産業振興審議会の農業部門の委員をされており、町の農業の中心的存在。2013年から無農薬でササニシキを作る挑戦を始めておられます。新しい挑戦を決断された背景や想いについてうかがいました。
どんどん強い農薬を使わざるを得ない悪循環に、本末転倒だなと思った。
2012年の冬にね、たまたまアミタの皆さんとお会いしたわけですけども、最初に会った当時は、怪しいなーと思って、適当にあしらっていたんです(笑)
しかし、地域の公民館でアミタが環境共生型農法の米作りについて講習をしたとき、ずっと思い悩んでいた霧が晴れたような思いがしたと阿部さんは振り返ります。
要は、宮城県の米であるササ(注:ササニシキ)がなんで弱いのか?なんで廃れてしまったのか?いわゆる近代農法は昭和40年代から盛んになってきたんです。機械で田植えをしたり、化学肥料・化学農薬を使ってどんどん生産率・収益性を追い求めるようになってね。アミタさんの話を聞いて、ちょっと昔の作り方、原点の作りに戻せば、ササっていうのは作れるのか?っていう思いが湧いてきて。
多くの生き物が訪れ共生する阿部さんの田んぼ
アミタの講習を聞く以前から、阿部さんの中には、まるで農薬に依存するような近代農法への疑問と、消費者へより良い作物を届けたいという農家としての強い想いがありました。
米の栽培っていうのは結構手間がかかるんですよ。病気とか、カメムシなんかの害虫とかですね。その防除のために農薬を散布するんですけど、最初はすこぶる効果があるけど、それを何年も続けていると虫も農薬に抵抗性が出てきて、防ぎ切れなくなってくる。さらに強い農薬が出てくる。このイタチごっこですよ。これは本末転倒だなって思ったんです。
農家としては消費者の皆さんに「これがうちの米ですよ」って胸を張って食べてもらいたいじゃないですか。その時にどちらが喜ばれるか?って考えたら、農薬使っていない方がみんな喜ぶよねっていう。本当に良い米を作りたいという想いが強くなって、じゃあ、少し大変でもやってみるかって感じになったわけです。
メタン発酵液肥を使った栽培にも挑戦しています
ひとつひとつの「点」をつくり、「面」にしていく。その先駆者として。
そうはいっても、自分から手を挙げるのは勇気のいる決断です。阿部さんは、町の産業振興審議会の農業部門の委員をされており、町の農業の中心的存在。地域の農業が抱える課題に誰かが一石を投じなければ、という責任感も後押しして、集落の真ん中の田んぼで無農薬に挑戦するという決断をしました。
山奥にウチの田んぼがあればよかったんですけど、たまたま集落の真ん中にしかなかったから。害虫を出して周りの農家に損害を与えたらと思うと、もう腹切り覚悟ですよ(笑)ただやっぱり、米の値段もどんどん下がって、農家の年齢層もどんどん高くなっていく。そんなジリ貧の状況になって、何か手を打たなければダメだってことは目に見えている。
誰かがやって結果を出せば、一人二人は真似するようになりはしないか、そういうことで村や地域が少し変わっていきやしないか。そういう意味で言うと、今私がやっているのは点のことなんですね。その点がいっぱい集まれば面になると。そうすることで、南三陸はもっと良くなると思うんですよ。
阿部さんが作った無農薬米「森里海のササニシキ」
阿部さんの目線は、お米づくりだけではなく、まちづくりや、その先まで広がっていきます。
今、日本は壁に当たっていると思います。その最先端がこの南三陸町。東日本大震災でそれが顕著に出た。つまり、他の自治体が20年後30年後にぶち当たる壁に今当たっているのが南三陸町なんですよ。今南三陸で行っている取り組みがどれだけ正しいかはわからない。ただ我々の思いは皆同じで、町の思いも同じで、その中で示せるものがあれば、良い意味の日本の最先端の町になる可能性があると思うんです。
例えば、今挑戦しているのはCSA(Community Supported Agriculture)という取り組みです。一方的に育てたものを買ってもらうのではなく、育てる前から関わってもらい、食・自然・人との交流を通じて南三陸町を「第二のふるさと」のように思ってもらえるような取り組みもしています。単にお米を作る場所ではなく、人と人の出会いを生み、共に育む舞台としての田んぼを再生しようとしているんです。
ササニシキ収穫の様子
今南三陸で生まれている新しい取り組みをどんどん進めていって、日本全国から見て、震災を機にあのまちが変わったなあ、あのまちを目指そうじゃないかといわれるような、そんなまちにしていきたいですね。そういったまちづくりが未来開拓じゃないのかな。
プロフィール
阿部 博之(あべ ひろゆき)さん
1958年生まれ、南三陸町入谷地区出身。株式会社農工房代表、一般社団法人南三陸研修センター理事。専業農家として入谷でお米、りんごの栽培、繁殖牛の肥育などを手掛ける。震災時は入谷地区の消防団員として、被災地の炊き出しや救援活動に奔走した。株式会社農工房設立後はトウキの栽培なども手掛ける。